ファントム・ヤマプロ、勝負に出る

私の名前はファントム・ヤマプロ。と、この業界では名乗っている。

職業はプロレスラーだ。

 

かつて地元・北海道でプロレス団体を経営していたが、とある事情により倒産させてしまった。

事情…まあ恥ずかしい話だが、単に私が経営センスの無い若造であったという事だ。

採算性の無い、所謂どんぶり勘定だった訳だが、その時はそれが必要だと思っていた。

夢と希望さえあれば何でもできる、と考えていたのだ。それも必要だとは未だに思っている。

 

倒産したが夢を諦めきれない私は、団体再建を目標に世界へと出稼ぎの旅に出ることにした。

ありがたい事に世界には私のようなローカルレスラーの事まで知っていてくれている人もいる。

それは非常に少数で、かなりマニアックな連中だったが。日本のプロレスが好きなんだろう。

ネット社会とは凄いものだと思いながら、私は彼らをキッカケに様々な団体へと上がった。

当然名を売り、多くの団体に呼ばれ、大金を得るためだった。倒産時に借金も抱えたしね。

 

私には華が無い。力も無ければ突出した魅力も無い。陸上で培ったスタミナと跳躍力ぐらいか。

グラウンドにはそこそこ自信はあったが、それだけの「ファントム」という名のマスクマンでしかない。

なので基本的にはジョバー、所謂負け役を演じる事が多かった。やられっぷりには自信があるよ(笑)。

ただ、客を盛り上げる事には色々と工夫した。様々な戦い方を見せてハラハラさせつつ、気持ち良く負ける。

他にもできることは何でも手伝ったし、困っている選手がいたらなるべく声をかけて悩みを聞いていた。

 

大きな団体に呼ばれてもそれは同じで、新人相手のジョバーか教育係を任される事が多い。

ハウスショーの負け役だからと舐めてかかってくる奴もいるのでシュートの技術は必要だった。

パワーでは敵わないが、骨法と柔術の心得のある私に勝てる若手はそうそういなかったよ。

それでもいつでも呼ばれる訳じゃ無い。小さな団体からのオファーが殆ど、勿論断らない。

採算性は良くないが、この世界は信頼が第一だ。それに、求められて悪い気はしないものだ。

 

いつしか「ファントム・ヤマプロ」と名乗ることにした。「ヤマプロ」というのは潰れた団体名だ。

いつか復活させるつもりだが、名前が無くなったままなのも切ないので、自分で背負うことにした。

日本も含めて世界中を旅する間に覚えたのは、ヒートを買うラフファイトに英語、様々な手続だ(笑)。

そうして過ごした約10年だが、金はなかなか貯まらないものだ。さすがに借金は概ね返した。

 

今度日本で大々的なイベントがあるらしい。私はこれをチャンスだと思っている。

私のレスラー人生、限りあるものだ。いつまでもこんなフラフラしてはいられない。

ここらで日本で一花咲かせ、夢の実現へと一歩近付きたいと考えている。

幸い多くのコネクションを得た放浪生活だった。決して回り道では無かったと信じたい。

でも経営には自信が無いな……まあ、それはまたその時に考えるとしよう。

 

ただいま、日本。私は諦めてはいないよ。

 

ー 2019年12月、機内よりモノローグ ー